2019年02月22日

スケッチ

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NHKの深夜から明け方にかけて放送されている「映像散歩」が好きです。

四季折々の美しい景色とか、大自然に生きる動物の姿とか、
貴重な映像が、いろいろ流れます。

余計なナレーションは一切なく、BGMだけなのが非常にいい!
絶対、おすすめです。



実は、「映像散歩」で見た情景に触発され、
「オオアリクイ」と「タテゴトアザラシ」の親子を描きたいと、
ず〜っと前から、そう思っているのだけども、
スケッチ止まりで、気づけばもう、5年もの月日が経ってしまっています。





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スケッチは、あくまでもスケッチなので、
自分が描きたいイメージは、また別にあるのです。
いいかげん、形にしないとな。





posted by ただゆめこ at 19:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月29日

証(あかし)

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数年前に描いた、小さな絵。

描いた絵は、どれも私にとって大切な宝物だけど、
これはその中でも、特別な一枚。

描いては塗りつぶし、描いては塗りつぶし、
ふっと、姿を現した。



パソコンではなく、絵の具で絵を描くようになった当初、
自分が描きたいのは、「命」というものだな……と、
そんなふうに、漠然と思っていた。


でも、それは 違かった。


私が、本当に描きたいのは、
自分自身の中にある、「せつなさ」なのだと。

最近になって、ようやく、そのことに気がついた。


もしも、感情というものに、色があったなら、
私の目に、いちばん美しく映るのは、「せつなさ」だ。


私は、絵が好きで好きでたまらなくて、それで絵を描いているのではない。
そんな健全な人間では、まったくない。

私が絵を描くのは、
絵の中に、自分の想いを、留めておくためだ。



生まれた命は、必ず、終わりを迎える。

今日の真実が、明日もそうだとは、限らない。

この世のすべては、とめどなく、流れる。

変わらぬものなど、ありはしない。

それでも人は、「永遠」を求めずには、いられない。
ひどく弱い、生き物だ。


だから私は、絵の中に、「永遠」を求める。
変わらぬ想いが、ここにあるのだと。

描くことは、その証。






posted by ただゆめこ at 08:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

お返事ミカちゃん

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名前を呼ぶと、ミカちゃんは必ず「ニャッ」と、返事をしてくれる。

お返事するミカちゃんの顔は、まるで笑っているみたいだ。



いつの頃からか、私が口をふくらませて、「ぶっ」と破裂音をだすと、
名前以上に、やたらと反応するようになった。




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私が「ぶっ」とやると、ミカちゃんが「ニャ!」と笑顔で答える。

「ぶっぶっぶっ…!」とやれば、

「ニャニャンニャ! ニャニャニャッ!」と返ってくる。

奇妙な会話は、とめどがない。
「ぶ」と「ニャ」は、引き寄せあうかのごとく、様々に呼応するのだ。




そんなミカちゃんの「ニャ」は、実に律儀である。

じっと丸まって眠っているのかと思いきや、
ささやくように「ぶっ」とやると、目をつぶったまま「ニャ」と言うもんだから、
こりゃたまらない。




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聞こえないくらいの、小さな小さな「ぶっ」なのに、
どうにもこうにも、反応せずにはいられないようだ。

ああ、かわいい、かわいい。
なんてかわいい、お返事ミカちゃん。





posted by ただゆめこ at 07:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

謹賀新年2019

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年末のご挨拶ができないまま、新年となってしまいました。

今年こそは頑張る! そう誓ったのが、ついこの間のことのように、
気がつけば、もう2019年。

昨年の暮れは何かと慌ただしく、
母が人生初の手術を受けたりなど、いろいろありましたが、
こうして無事、新年を迎えられたことに感謝しています。

今年は亥年。
猪突猛進するくらいの勢いで、もっともっと必死になって、頑張りたいです。




posted by ただゆめこ at 04:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月14日

くるくるオレンジのかつら山

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私にしてはめずらしく、ちょっとおしゃれな感じの絵ができました。

色画用紙に描いた絵を、Photoshopで適当にいじって加工したものです。






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ちなみにもとの絵はこんな感じ。

Photoshopで加工するのは楽しくもあり、ちょっとくやしくもある・・・。
お遊び程度にいじる分にはいいかな。




なぜこんな絵を描いたかといいますと、この間、夢の中で、とある芸人さんが、
くるくるオレンジの巨大なかつらをかぶってステージに立っていたのです。

そして、赤いワンピース。
なんというか、ミュージカルのアニーと魔法使いサリーちゃんを
足して2倍したような感じといいましょうか。

顔が白くて、オレンジ色のかつらが映えること! 
実際にやったら、絶対面白いと思うんだけどな〜

本人に伝える術もないので、お絵かきして自己満足した次第です。





posted by ただゆめこ at 17:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

テレちゃんの階段

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自宅二階の一室が、テレちゃん専用の部屋だった。

テレちゃんは、もともとは野良である。
先住猫のミカちゃんと仲良くなれるまでは、ある程度、部屋を分けておく必要があった。


外で自由気ままに暮らしていたテレちゃんにとって、
閉ざされた家の中で生きることは、相当なストレスとなる。
私はせめて少しでも、テレちゃんに良い環境を与えてあげたかった。

二階の一室だけでなく、
もっと自由に家の中を歩き回れるようにしなければ……。

そんなわけで、一階をテレちゃん、二階をチロ&ミカちゃんの生活スペースにしようと考えた。



ところが、テレちゃんを抱っこして強制的に一階のリビングに連れてきても、
すぐに二階の自分の部屋に戻って行ってしまう。

一階の部屋は、まだ未知の場所。怖いのだろう。

私は、テレちゃんが自分から階下に降りてくるのを待つことにした。
焦りは禁物なのだ。



けれど数か月が過ぎても、
テレちゃんの生活ベースは、相変わらず二階の一室のままだった。

みんなが寝静まった頃に、こっそり降りてきて
リビングのコタツに入っていたりすることはあるものの、
そうでないときは、階段の影から、一階の様子を静かにうかがっている。


一階と二階をつなぐ階段が、テレちゃんのボーダーラインになっていた。

「テレちゃん、こっちおいで〜」と優しく言っても、降りてこない。
階段の真ん中で、じっと私の顔をみつめている。
白熱灯のオレンジの灯りの下で、テレちゃんの瞳はまあるく黒目を帯び、
ますます愛おしく思えた。




そんなテレちゃんが、亡くなる前日の夜、
初めて、自分から一階のリビングへとやってきた。

とても驚いたし、うれしかった。本当に。
自発的に来てくれるのを、ずっと待っていたから。

ちょうど焼き魚があったので、その身をほぐし、テレちゃんに差し出すと、
テレちゃんは私の指にしゃぶりつくようにして、
ハグハグと、勢いよく食べてくれた。


本当のことを言うと、テレちゃんは長い間、酷い口内炎に苦しまされていた。

手作り食をペースト状にして与えたり、サプリメントをあげてみたり、
マヌカハニーや熊笹、いろんなことを試したけれど、
大きな効果はなかなか得られない。

頼みの綱のステロイドも、あまり効いているようには思えなかった。

そんなテレちゃんが、痛み声をあげることなく、
私の目の前で、おいしそうに魚を食べている。

これは本当に、心底うれしかった。

テレちゃんはきっと良くなる。絶対、元気になってくれる……。
私は、疑いのない希望を感じていた。

テレちゃんが次の日 死んでしまうなんて、
私は、これっぽっちも思ってなどいなかったのだ。
まったく。微塵たりとも。


今考えれば、これはテレちゃんの「お別れのあいさつ」だったのだろうと思う。
テレちゃんは最後の夜を、私と一緒に過ごしてくれたのだ。

明け方までテレちゃんは、ずっとコタツに入っていた。
徹夜する私の足元で、甘えたような顔をして、幸せそうに、丸くなっていた。



思い返したなら、ぶーちゃんのときも、そうだった。
亡くなる前日の朝、私の枕元にとびのってきたのだ。

そんな動きなどできないほど、日に日に弱っていくばかりだったから、
ぶーちゃんが、久しぶりに甘えてきてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。

このときも私は、これならきっとぶーちゃんは大丈夫だと、
必ずまたきっと良くなってくれると、かすかな希望を抱いていた……。



階段をのぼるテレちゃんの姿。
ずっと描きたいと思っていた。
けど、なかなかできずにいた。

五年目を迎えた今。やっと描きとどめることができてうれしい。


私にはまだまだ、描きたい絵がある。
描いておかなければならない。もっと。もっと。





posted by ただゆめこ at 15:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月26日

らくがきの変貌

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らくがき帳に なんとなく描いた絵が、結構気に入ったりするときがある。


そんな絵は スキャンしておいて、
ときどきPhotoshopで ちょこっと色をつけたりなんかする。

そうすると、また違った雰囲気になって、なかなかおもしろい。




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どっちがいいかな〜、
う〜ん…、やっぱボールペンが好きなんだよな〜と、
誰に聞かれるわけでもないのに、勝手に一人で悩んでいたりする。







posted by ただゆめこ at 06:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月19日

すぐそばに。

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部屋の一角に、大切な写真が飾ってあります。

チッタとぶーちゃん、そして、テレちゃんとチョビの写真。

毎日必ず、一度は手を合わせます。


10月に入り、秋めいてきたある日のこと。

ものすごく嬉しいことがあって、
わたしはみんなの写真に手を合わせながら、お礼の報告をしていました。


カーテン越しの柔らかな日差しの中。

静けさを抱えるように、一人写真と向き合っていると、
何とも言えない、厳かな気持ちになります。

わたしは いつも以上にゆっくりと、
感謝の思いをこめて、愛猫たちの写真をみつめていました。



2枚の写真が、木製のシンプルなフレームに、それぞれ入っています。

羽毛布団の中から顔を出してるぶーちゃんと、
その横でゴジラみたいな顔してあくびしてるチッタ。

小雪のちらつく日。ダンボール箱の中で、仲良く暖をとるテレちゃんとチョビ。

ふふふ。 本当に、いい写真だなぁ・・・


愛おしむように、カメラ目線のテレちゃんのお顔を、
じーっと みつめていた、そのときでした。

写真の中のテレちゃんが、突然リアルに、浮き上がって見えてきたのです。

テレちゃんだけじゃありません。チョビもチッタも、ぶーちゃんも!

わたしの目には、写真なんかじゃ、ない。
鮮やかな命が、そこにそのまま生きているかのように、思えました。

なんと言ったらいいのか。

写真の枠の中に異空間が広がっていて、そこで今も変わらず生き続けているような、
それを見ているような、そんな感じです。


その瞬間、無性に涙がこみあげてきました。

あぁ、わたしは、守られている。
こんなにも、守られているのだ。

そう思ったのです。

うまく言えないけれど、ひとつの喜びの中に、一緒にいるような気がしました。
生と死を越えて、再び会えたような。 同じ魂を、共有しているような。


わたしたちは、こんなにもすぐそばにいるのだ。
いつだって。
心から、そう思えた瞬間でした。

とても、とても、不思議な感覚でした。






posted by ただゆめこ at 01:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

あふれる愛

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姉への誕生日プレゼント。今年は木彫りです。


「あふれる愛」で、これからも温かな家庭を守っていってほしい
という願いをこめて。







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これまでの木彫り作品は、茶系で木を地塗りしてたのですが、
今回は、ハートを淡いピンク色にしたいなと思ったので、
地塗りは白にして、着色しました。

やっぱり地の色が違うと仕上がりも全然変わってきます。
なかなかいい感じの色味。結構透明感があり、木目もよく見えます。







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すごくかわいい! と、今年も無事、喜んでもらえました。
よかった、よかった♪





posted by ただゆめこ at 02:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

留める

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テレビをつけ、座椅子にぼ〜っと座っていたら、
フクロウの可愛い映像が流れ、なんとなく見ていました。

そしてそのあと、とある映画を、そのままなんとなく見ていました。

映画の中に出てくる建物やアンティークのインテリアがとても素敵で、
私の意識は、自然とそちらへ向かっていきました。

ロココ調のカーテン。ビロードのソファ。
壁の随所に飾られた油絵が、チラリチラリと目に映ります。

そのときです。

私の脳裏に、古びたフクロウの絵のイメージが、突如ボン!と湧き上がりました。
厚塗りの、ちょっと角ばったシュールな感じです。

どうやら直前に見たフクロウの映像と、映画のアンティークな重厚感が、
自分の頭の中でミックスされたらしく、
混ざり合って出てきたそのイメージが、あまりにも鮮明だったので、自分でもびっくりしました。

これは描いておかなきゃと思い、描いたのがこの絵。

言わずもがな、描きたかったものとは全く異なる出来栄えです。

色鉛筆で描いたもんで、ふんわりふわふわ。
重厚感とは程遠い、ぜんぜん真逆のものになってしまいました。

まあでも、「フクロウを描きたいのだ」という思いは留めておくことができたので、
これはこれでよしとします。





posted by ただゆめこ at 18:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

走れ!

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上の姪っ子への誕生日プレゼント。
今年は木彫りシリーズです。

陸上部で毎日頑張っているようなので、走っている姿をイメージして作りました。
黄金の足ー!っていう感じです。






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会うたびに、ぐんぐん大きくなっていて、びっくりさせられるのだけど、
無邪気な笑顔は変わらないでいてくれていることに、私は内心、ほっとしています。

今回のプレゼントにも、とっても素直に喜んでくれました。
別れ際「ありがとう〜!」と、笑顔で何度も手を振ってくれた姿が、嬉しかったな。







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その力強い足で、しっかりと今を踏みしめ、
これからも好奇心を持って、いろんなことに挑戦していってほしいです。





posted by ただゆめこ at 13:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月04日

ふたつの視点

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先日 NKHのクローズアップ現代で、「樹木希林さん 直筆の手紙」
というのがやっていたのだけども、その番組中のテロップに、

“ 死ぬことは 人の中に生きること ” という言葉があって、
私はこれに、ハッとさせられた。

死生観については、私自身も同じような思いを常日頃から抱いている。
それなのに、なぜそんなに衝撃を受けたのか。

それは私が、遺された側の立場で「死」というものを考えているのに対し、
これはそうではなく、「死に逝く側」から発せられている言葉のように、思えたからだ。

言わんとしていることは、同じだ。
けれど、見ている方向が全く違う。


命尽きようとも、魂は心の中で生き続けるのだと、
人一倍、そう強く信じているくせに、
私自身は、自分が死んだら誰かの心の中で生きるのだ、などとは考えたことがない。
そんなふうに思える相手など、自分にはいやしないのだから、
当然といえば当然のことだ。

いつか自分も、そんなふうに思える時がくるのだろうか。
私が絵に込めた想いは、誰かの心の中で、生き続けることができるだろうか。
そんなことを、ふと思った。





posted by ただゆめこ at 06:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月24日

「 シンプル 」

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わたしは座椅子で寝るのが好きだ。

背もたれを倒し、アザラシのように突っ伏していると、
どこからともなくミカちゃんがやってきて、必ず背中にのっかってくる。

じんわりとあったかくて、心地よい 重み。

その向こうで、チロが相も変わらず、安心しきって眠っている。

あぁ、これ以上の 何を求めるというのだろう。

わたしの しあわせは、いつだって、

こんなにも、「 シンプル 」だ。





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2018年09月21日

チッタのひまわり

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今夏8月、愛猫チッタの命日のこと。

猛暑の中、お供えする花を買いに、花屋へ行きました。
花を選ぶのには、いつもすごく時間がかかるのですが、この日は違います。

とっても素敵な「ひまわり」をみつけたのです。

ひまわりといえば、中央部分がギラギラぎっしり茶色くて、
その周りに黄色い花びらがついている・・・
というのが、私の中でのイメージでしたが、これはそうではありません。

中央部分も花びらと同系色の濃い黄色。
どぎつさのない、穏やかな印象のものでした。

なんて朗らかで、温かな黄色なんだろう。
私はこの「黄色いひまわり」に、一目で心奪われてしまったのです。

すぐさま手に取ると、他の花をぐるりと見回し、
淡いピンクのミニバラと白い小花を、一緒に添えてみました。

よし!これでいこう!


いつになくスムーズに花を選び終え、大満足です。
レジを済ませ、足早に店の外へと出ると、
私は自分の腕の中にある花束を、確かめるように見つめ直しました。


夏の日差しの下で、「黄色いひまわり」が一層おおらかに、輝いて見えます。
ピンクのミニバラと白い小花を組み合わせたのも正解でした。

我ながら ナイスチョイス!
思わず顔が、にんまりします。

「これならきっと、チッタもよろこぶ。よろこんでくれる・・・!」
私は我慢しきれず、花束を優しく抱きしめ、小さくつぶやきました。




帰り道、自転車です。
ペダルをこぎながら、ふと思いました。

チッタは「黄色い猫じゃらし」のおもちゃが大好きだったよなぁ・・・

口にくわえて私のところまで持ってきたときは、びっくりしたっけ。
あのときの顔。鼻にかかった甘え声。
本当に本当に、かわいかったなぁ・・・


こんなふうに、チッタとの思い出に心地よく浸るのは、
私には珍しいことでした。

楽しい思い出がどんなにたくさんあっても、
私の意識は、自分の「悔い」にばかり、いつも行ってしまうからです。


その「悔い」からほんの一刻でも逃れ、
ただ純粋に、チッタへの愛おしさに、思いを馳せることができた。
私はそのことに気がつき、うれしくなりました。
たまらないほど、うれしくなりました。

ひまわりのお陰です。
「黄色いひまわり」が、チッタとの楽しい思い出を、
自然と彷彿させてくれたのです。


自転車のかごの中で、ナイスチョイスの花束が、
まるで微笑んでいるかのように、コトンコトンと揺れています。
私の心にも、温かな何かが、優しく揺れています。
今のこの気持ちを 忘れたくない。 そう思いました。




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そんなわけで作ったのが、今回のこの木彫り、「黄色いひまわり」です。
色付けを終えた瞬間、ため息が出ました。

・・・あのときの、ひまわりだ。
私だけに見える。私の心に、咲いている。
記憶の中にきらめく、朗らかで温かな、チッタのひまわり。



チッタとの楽しかった思い出を、
自分の生み出した「悔い」に、埋もれさせてはいけない。
この木彫りは、その誓いでもあります。

大切な大切な私の宝物が、またひとつ、増えました。





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posted by ただゆめこ at 17:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

「陽」となれ!

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日曜の夜のこと。

テレビのリモコンで番組表を見ていたら、
TVKで「フィッシュストーリー」という映画がやっていて、
他に観たい番組もなかったので、試しに観てみました。


・・・なんてことっ!
いい! すごくいい!! ものすごく、よかった!!!

ユーモア冴える、独特のちょっと奇妙な空気感。
記憶の中を覗きみるような、どこか切なくて、それでいてあったかい感じ。

複数の断片的なストーリーが、ひとつの未来へと一気につながっていくラストは、
清々しいほど気持ちが良く、なんだか嬉しくなりました。




ありとあらゆる出来事が複雑に絡み合って、現在(いま)ができている。

良いこともあれば、もちろん悪いこともあるけれど、
それが最終的に何をもたらすのか、「陽」となるか「陰」となるか、
その本当のところは、そのときになってみなければ、誰にもわからない。

そうであるならば、たとえどんなにつらいことがあったとしても、
いつかはそれが、めぐりめぐって「陽」につながるのだと、
そう信じて日々を過ごした方が、ずっとずっと、いいに決まってる・・・。

この映画は、ネガティブな私さえも、そう思わせてくれました。

劇中の歌もよかった。詞もよかった。ほんと、観てよかった!
心地の良い希望のようなものが、不思議と胸に残ります。そんな映画です。

同じ監督の映画が次の日曜にもまたやるみたいなんで、それもぜひ観ようと思います♪





posted by ただゆめこ at 17:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

守りたい

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実は、2か月ほど前から、クラウドソーシングを利用して、
Webメディアの記事作成の仕事を始めました。いわゆる「ウェブライター」というやつです。

クラウドソーシング用の異なるペンネームでやっていますが、
今、防災についての記事作成に取り組んでいます。

この夏の記録的な猛暑、西日本豪雨、台風の多発。
そんな中で、「防災」に関するライティングの募集案件をみつけ、
これだ!と思い、意気込んで応募したのですが、
応募したその直後に北海道の地震を知り、愕然としました。

猛烈な台風が去った矢先に、震度7の大地震。
ひどすぎる、あんまりだ・・・と、
本当に心底、思いました。

なんと言ったらいいのか、自分の無力さを感じずにはいられませんが、
防災について、意義のある良い記事を書いて、
少しでも社会の役に立ちたいと、真剣に、そう思っています。

ものすごく小さなことかもしれないけど、
自分なりに頑張りたい。頑張ろう。頑張らねば!




posted by ただゆめこ at 05:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月01日

父の夢

お盆二日目の明け方のこと。久しぶりに、父の夢をみた。

場所は喫茶店。

母と二人で休憩していると、父が私たちの目の前にやってきて、
「一人で〇〇病院まで歩いて行ってきたよ」と、得意気にそう言うのである。

「えええっ!!!一人で?!」 私は思わず驚きの声をあげる。

現実的なことを言えば、父は足腰が悪く、目も不自由で、
亡くなる10年以上も前から、一人でどこかに行くことなど到底できない体になっていた。


それがどうだろう。杖も持たずに腰をピンと伸ばし、一人でしっかり立っている。
にっこりと笑みを浮かべ、何歳も若返ったかのように、顔の肌つやもよい。

「すごい!すごいよ!! 一人で歩いて行ってきたなんて、すごいねぇ・・・」

私は喜びと興奮を抑えきれず、「すごいね!すごいねぇ・・・」と何度も何度も、
ひたすら同じ言葉をくりかえすのだった。


そんな私の驚きっぷりに満足した父は、
静かに椅子に座ると、コップの水に手をのばした。

「氷、入れようか?」 私がたずねる。

「ああ。そうだな」 いつもの口調で父が答える。

私は氷入れの中から、できるだけ大きな、形の良い氷を選んで、
父のコップへと入れた。

トプン・・、トプン・・・

2つの氷で、コップの水があふれそうになる。

なみなみに入った水を、父はうれしそうに飲んでいる・・・



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・・・とまあ、こんな感じの夢。
人に話したら、返答に困るような、たわいもない内容の夢だ。

けれど、私にとっては、とてもうれしいものであった。
「〇〇病院まで一人で行ってきたよ」だなんて、
なんとも父らしい、そして私らしい夢だなぁと思う。



父が亡くなって半年くらいの間は、たびたび父の夢をみた。
それは決まって、危篤状態の父が一命をとりとめる、という設定なのである。


「お父さん!お父さん!」と、私が大きな声で呼びかけると、
父が「はい」と返事をし、意識を取り戻すのだ。

体は痩せ細り、鼻には酸素チューブがついたまま。
そんな姿の父と、私は旅行に行ったり、デパートで買い物をしたり、一緒に夜景を見たりする。

そして、自分とともにいる父を、私は夢の中でまじまじとみつめ、
「ああ、よかった。本当に、本当に、よかった・・・」と、
心の底から、振り絞るように、天に感謝するのだ。

そこには、ひとかけらの悔いもない。
私は一切の罪悪から解放され、清らかな喜びに満ち溢れている。
これ以上のしあわせなど、ないほどに。


夢から覚めた後も、しばらくは目をつむっている。
薄れゆく光景を追いかけるように、私は脳裏を隈なく瞬時にたどり、
父が生還するという、奇跡のような喜びの余韻に、ただ一人、じっと浸っていた。


そんなような夢を、いったい何度、みたろうか。
けれど、一年経ち、二年経ち、いつしかぷつりと、みなくなっていた。
自分の心情は何も変わっていないのに、なぜだろう?



それがようやく、満を持していたかのように、再び夢に父が現れたのだ。
お盆二日目の明け方。なんとも不思議な、粋なタイミングである。

もう、痩せ細ってなど いなかった。酸素チューブもしていない。

元気な姿になって現れてくれたことが、私はうれしかった。
とても、とても、嬉しかった。


命は死しても、その存在はなくならない。
むしろ、生きていたころの何倍も、父への思いは、私の中で強まっている。

夢は幻でも、そこで抱いた感情は、本物だ。
これも立派な、父との思い出だと、そう思っている。





posted by ただゆめこ at 16:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

ぼんぼりハート

3年前、父の初盆のときのことです。
仏壇に飾っていた枝付きホオズキが、1か月以上たっても枯れる気配がなかったので、
なんとなく遊び心が湧き、庭の一角に、そのままブスリ……と、突き刺しておきました。

それから1年が過ぎ、2年目を迎えた梅雨明け頃、庭の草むしりをしていると、
見たことのない太い茎が1本まっすぐ伸びあがり、青々と葉っぱをつけています。

これは一体なんだろうと、葉っぱの付け根をよく見てみると、
ホオズキに似た小さな緑色の袋が、1つぶらさがっていました。

え、まさか?! 

数日そのまま様子をみていると、だんだんオレンジがかってきます。
間違いない、ホオズキだ! 

いやもう、ほんと、これにはびっくり仰天。
2年前何も考えずに、庭土にただ突き刺しただけの、あのホオズキが、
突如姿を現したのです!

前年には何も気づかなかったので、
まさか根付いているなんて、思ってもみませんでした。

そういえば、突き刺した後もかなりの長いあいだ枯れることなく、
六角形の立派な袋をぶらさげていたっけ。

あぁ、なんというたくましさ。なんという奇跡!

そのホオズキが地下茎をのばして今年はさらに増え、今は4本の茎がニョキニョキしながら、
オレンジと緑の可愛いぼんぼりを、ぶらんぶらんさせています。




さて。そんな中でみつけたのが、こんな姿になったホオズキさんです。


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いわゆる網ホオズキと呼ばれる現象。
いつかこの目で見てみたいと、ずっと思っていました。

ドライフラワーのように乾燥させておけば、そのうち勝手になるのだとばかり
私は思い込んでいましたが、どうもそうではないらしく、
去年のお盆に買ったホオズキは、網目化することなく、ただそのまま乾いているだけ。
まぁ、よくよく考えてみれば、そりゃそうだよな。


それが昨日ふと庭を見たらば、
この子が土の上に、ふわりと寝転がっていたのでございます。

あ・・・! と思いました。

庭に出て、茶色く倒れたその茎を手に取ってみると、ワラのように乾いています。
根ごと引き抜き、部屋へと連れ帰りました。





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あぁ、なんて美しいのでしょう・・・
驚くほど繊細な透かし模様。橙色のまあるい実。まるでハートの提灯みたい。

自然のなれの果てに、この姿が在るのだということが、
なんとも神秘的で、感動します。

いくらでも眺めていられるなぁと、うっとりしながら、
同じような写真を、何枚も何枚も撮ってしまいました。

連日の異常な暑さに心底ぐったりしていましたが、久しぶりにテンションの上がった私。
こうしてはおれん!とブログを更新した次第です。




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2018年05月29日

バロックの色

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以前にもチラッと書きましたが、バッハの小フーガ ト短調(BWV578)が好きで、
最近やたらと、聴いています。

パイプオルガンの抑揚のない音色と、その圧倒的な響きは、
まさに神のように、絶対的に美しく、
聴く者の心から余計な感情を追い払い、無にしてくれるような気がする。

この曲を、色にして例えるならば、
絶対、金古美だな・・・と思い、描いてみたのが今回の絵です。





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2018年05月24日

ギリシア神話「ナルキッソス」

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やりたいと思っていることはいろいろあって、
そのうちの一つに、「ギリシア神話を描く」というのがあります。

記憶をさかのぼれば、子供のころに
「アリオン」というアニメ映画を観たのがきっかけでしょうか?
その映画の世界観が、私にはたまらなく気高く、そして美しいものに思え、
以来、漠然とではありますが、ギリシア神話というものに憧れを抱いていました。

ギリシア神話を、初めて本でちゃんと読んだときは、
え?!と思うような、残酷な展開が多々あるので、
正直、ちょっと戸惑いを感じましたが、
今となっては、そういう面を踏まえても、
やはりギリシア神話は、「美しい世界」であると、思います。




naruki2.jpg



今回の絵は、ナルキッソスのお話をイメージして描いたものです。
はがきサイズの、小さな習作。

「ナルシスト」の語源ともなったこのお話は、
ギリシア神話の中でも、特に馴染み深いものかもしれません。

ナルキッソスのお話には、エコーというニンフ(妖精)も登場するので、
最終的には、もっと大きな紙で、双方一緒に描きたいなと思っています。




posted by ただゆめこ at 16:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする