藍色の星たちへ

こころの詩を描く旅。

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チロとチッタ。

同じ黒毛の、異なる命。

チロのぬくもりに 耳をあてたなら、
かつてのチッタと同じ、命の鼓動が聞こえる。

そんな当たり前のことが、妙に、愛おしい。


つながっているのだ、なにも かも。

すべては、つながっている。絶え間なく、どこかへと。


私たちは きっと、いつの日か、

ひとつの真実となって、永遠の中に、溶け行くだろう。






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檜の端材で作った、白菊の木彫り。

「木を彫る」という行為は、
「祈りを込める」ということに、限りなく近いと思う。


戦後74年。

どんなに時が経っても、過ちの消えることは、決してない。
奪われし命の、その無念を、
私たちは、ひとつとして、忘れてはならない。

抱き続けること。覚悟をもって、背負い続けること。

自分に何ができるのか。何をすべきなのか。
絶えず、問い続けていきたい。






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ぶつ切りの トマトが妙に
おいしくて、

ふと甦る 父の姿を、
しみじみ、懐かしく想う。

今日も暑い。 暑い、盆前の夜。





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ぶーちゃんの死は、苦しみの果てにあった。

長い間、病と闘い、幾度もの検査に耐え、
そして最期は、もがき、苦しみ、息をひきとった。


それなのに、ぶーちゃんの死顔は、
壮絶な苦しみを露とも感じさせないほど、安らかなものだった。

誇らしげに、勇ましく、笑みを浮かべているようにさえ、私には思えた。

ぶーちゃんは本当に強くて、立派な子だった。



その夜、私は自分のベッドに ぶーちゃんを寝かせると、
ひんやりと冷たい体を、そっと優しく撫でながら、
何度も何度も、ぶーちゃんの名を呼び続けた。子守唄のように。

私は、動かぬぶーちゃんと一緒に、眠りについた。



いつの間にか朝がきて、私だけが目覚める。

真っ先にぶーちゃんを確かめると、
ぶーちゃんの顔は、昨日のそれとは、少し違うものに変わっていた。


まるで子猫みたいに、あどけない顔をして、
私の枕もとで、微笑むように、眠っている。

それは私が今までに見たこともないような、
本当に、天使のように愛おしい、無垢な微笑みだった。




あの夏から、11年。

ぶーちゃんの苦しみに最後まで寄り添い、
全身全霊をかけ、自分で看取ることができたこと、

そして、今年も無事に、ぶーちゃんの命日を迎え、供養することができたことに、
私は改めて、心から、感謝したい。







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計り知れない、無念の思い。

どうして、

なんで、

怒りと悲しみ、ぐるぐると渦を巻き、

祈ることすら、ままならない。

手にした小さな木片を、

削っても削っても、何も変わるはずもなく、

私はただひたすら、重く沈んでいく自分の心を、

じっと、みつめている。







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最近、こういう感じの絵を黙々と描いております。


A4のコピー用紙に鉛筆で描いた線画。

クロッキーの一環で描いていたのだけども、
いい絵になりそうだったので、ついつい時間をかけ、きっちり描きすぎちゃった。





スキャンして、photoshopのバケツツールでざっくり着色。



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やはり・・・

なんか漫画っぽい雰囲気になっちゃった。






どうもイマイチだな~と思い、
「フィルター」とやらを適当にいじくってテクスチャを加え、こんな感じに。



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どうでしょか?

photoshopは便利だし、いろんな風に変化をつけられて面白いと思うのだけど、
いくらでも直せるが故に、どれが一番いいかわからなくなってくるので困ります。。。







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なんだこの絵は?と思われそうですが、
「あじさい」です。


2年前に植えた、庭のあじさい。
昨年は1つしか花をつけず、ちょっと心配しましたが、
今年はだいぶ成長し、10個くらいの花をつけてくれました。

すべての蕾が、一斉に咲くのではなくて、
花の大きさや咲き具合は、茎ごとにそれぞれ違っています。

毬のように立派なものもあれば、
まだらに咲いてるものがあったり、
ほとんど蕾状態のものがあったり、マチマチです。

なんか、ひとつの家族みたいだな~と思い、描きました。




この絵を描いたのは、3日前。18日のことです。

その翌日の晩に、山形県沖での大地震が起き、
この絵を使ってブログを更新するかどうか、本当は迷いました。

明日以降、新潟・山形では大気が不安定になるとのこと。
余震の続く中、雨風の影響がとても心配です。


大きな地震が、頻発している。

もっともっと、真剣にならなければならない。
覚悟をもって、生きなければ。

そう思います。





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黙々とパソコンで作業をしていたときのこと。
そんな私をじっとみつめる、チロのまなざしに気がつきました。

布団からムクリと体を起こし、
微動だにせず、じーっと、じーっと。

ふふふ。かわいいな~
何を考えてるんだろうな~

ちょうどペンタブを使っていたので、すかさず描き留めました。
ぎこちない線が、味わい深くていいな~と思います。





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頭の中が、ぐるぐる、ごちゃごちゃ。

こんがらがって、どうにもなんない。

ああ、もう、お手上げ… と思ったら、

いきおい あまって、バンザイ しちゃった。


とびきり 大きな、でっかい、バンザイ。

そしたら なんだか、うれしくなってきて、

思わず スキップ、しちゃったよ。


「 うひょひょひょ~~~い! 」

ほら見て! 目の前に、小さな虹が でた!


なんてステキ! なんてユカイ!

忘れてたよ。わたしの上にも、ちゃんと空は、あったんだね。


わたしは「虹子」だ。「虹子」になれ!

あるがままの この空を、胸いっぱい、吸い込んで。

わたしは、わたしの虹を、描けばいい。






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姉のお友達の誕生日プレゼントに、彫りました。

手のひらでギュッと握れちゃうくらい、小さな小さな木彫りです。



家族以外に自分の木彫りをプレゼントするのは初めてだったので、
大丈夫かな~、やっぱりやめておこうかな~と、
長いこと一人モヤモヤ、臆病風と戦っていたのですが、
「やっぱり彫りたい!プレゼントしたい!」 と、一大決心。


実を言うと、最初に彫ったのは、先日の「太陽のお顔」の木彫りだったのですが、

いや~ いきなりコレもらったら びっくりするだろ~~っ!
と思わず自分にツッコミを入れ、プレゼント却下。

そこで次に彫ったのが、この桜の花の木彫り、というわけです。

ちょっとイビツな形をしていますが、私はそこが気に入っています。





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つるんと滑らかな、整った仕上がりの木彫りよりも、
私はゴツゴツとした、無骨な感じの木彫りが好き。

着色は、木の温もりが感じられるくらいに、さり気なく・・・。

できあがった木彫りを、いろんな角度から眺めては、
いいね~ いいね~ と、相変わらず一人で自画自賛してましたが、
「すごく喜んでたよ~!」と姉伝いに聞き、とても嬉しいです。

喜んでもらえて、よかったよかった!







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