2017年09月22日 雨音 静けさの、底。 眠りつづけるわたしを 呼び起こした 小さな、雨音。 ポツリ、ポツンと、誘われて 天、見上げたならば、 にごった雲の、その先に、 白き光の、あることに、気づく。
2017年09月16日 特別なバラ 去年植えたバラのさし木が、ここまで大きくなった。 「さし木」とは、植物を繁殖させるための方法のひとつ。 ざっくり言うと、増やしたい植物の枝を10cmくらいに切って土に挿し、 そこから新たに発根させる、というものである。 もともと私は、庭木の手入れや草花の世話など、一切してこなかった。 それが今は、毎日この鉢植えをチェックし、 水をやったり、葉に虫がついていないか、日々の観察を怠らない。 それはなぜか。 この2つの苗は、単なる苗ではない。 我が家の庭に、長きにわたって植わっていたバラの老木の「 子供 」なのである。 その老木は、もういない。 去年5月の台風で、根元からグキリと、折れてしまったのだ。 たぶん、樹齢30年くらいにはなっていたと思う。 ほとんど放任で、なんの手入れもしてやらないのに、 毎年時季がくれば、ここにいるよと言わんばかりに見事な花を咲かせ、 私を驚かせてくれる。 そんな健気なバラの木が、台風一過、無残な姿で地面に横たわっていた。 あまりにも、突然のことだった。 世話など何もしてこなかったくせに、私は悔やんだ。 なんにもしてこなかったからこそ、悔やんだ。 このまま終わらせたくない。 なんとかして、このバラの命をつなぎとめたいと、強く思った。 母に頼み、さし木をしてもらう。 老木の枝を、ところどころ10本ほど短く切って、土に挿してはみたものの、 青々としていた枝は、真夏の暑さにだんだんと茶色くなり、 気づけば、残っているのは2本だけ。 もう、ダメかもしれない。 今日こそ、枯れているかもしれない。 毎日、恐る恐る さし木の様子を見に行き、祈るように、水をやり続けた。 2か月くらい、かかったろうか。 古葉を落とし、もはやただの棒切れのようになっていたその枝から、 新芽がひょっこりと顔を出しているのをみつけたときの感動は、 今でも、忘れられない。 それは ひとつの命が、新しい命へと、つながった瞬間だった。 うれしくて、涙がでた。 何かがとけだすように、あふれでた。 命ってすごい。すごいよ。と、 馬鹿みたいに、大泣きした。 台風がくる数日前、老木は、一輪の大きな花を咲かせた。 母が切り花にし、それは父の仏壇へと飾られた。 老木が台風に倒れた後も、残された切り花は、父の仏壇の前で長く咲き続け、 その枝からとったさし木が、写真左の、苗である。 そして右の苗は、私を二度、驚かせてくれている。 小さな5枚葉を3つ出したきり、成長がピタリと止まり、 春になっても微動だにせず、枝が茶色く枯れこんできてしまっていたのだが、 夏に入ってから、一年越しに再び、新しい芽を出してくれたのだ。 なんという、力強さ。 どんな状況にあろうとも、ただ懸命に、生きようとする。 あるがままの命の姿に、心の底から、感動する。 この感動を、何か形に残しておきたい。 そう思い、久しぶりに木彫りに挑戦した。 新芽を出した時に描いたスケッチをもとに、彫っている。 私はこれまで、たくさんの大切な命を、だめにしてきた。 どんなに頑張っても、祈っても、救うことは一度もできなかった。 そんな私が、初めて、つなぎとめることのできた命。 老木の命が、新しい命へとつながったとき、 私は、バラではなく、自分自身の心が、救われたような気がした。 それくらい、私にとってこの一連のできごとは、 とても大きな、かけがえのないものとなっている。
2017年09月02日 貼り絵でノート(その3) もうひとつ、貼り絵が続きます。 これは姉への誕生日プレゼント。 ブック型ノートのハードカバーに施した貼り絵。 特に、裏表紙が気に入ってます。 青い屋根のお家が、メルヘンチックでとてもかわいいのです! 笑顔あふれる、温かな家庭。 何よりも大切な、守るべきもの。 そんなことを思いながら、わたしは一人黙々と、 和紙をペタリ、貼っていく・・・ そうしてできあがった貼り絵は、自分でも驚くほど、 のどかで可愛らしい世界に なっていました。 プレゼントを手にした姉は、「ありがとう~!」と、にっこり笑顔。 貼り絵を撫でるようにみつめながら、 とてもとても、喜んでくれました♪