藍色の星たちへ

こころの詩を描く旅。

2018年10月

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テレビをつけ、座椅子にぼ~っと座っていたら、
フクロウの可愛い映像が流れ、なんとなく見ていました。

そしてそのあと、とある映画を、そのままなんとなく見ていました。

映画の中に出てくる建物やアンティークのインテリアがとても素敵で、
私の意識は、自然とそちらへ向かっていきました。

ロココ調のカーテン。ビロードのソファ。
壁の随所に飾られた油絵が、チラリチラリと目に映ります。

そのときです。

私の脳裏に、古びたフクロウの絵のイメージが、突如ボン!と湧き上がりました。
厚塗りの、ちょっと角ばったシュールな感じです。

どうやら直前に見たフクロウの映像と、映画のアンティークな重厚感が、
自分の頭の中でミックスされたらしく、
混ざり合って出てきたそのイメージが、あまりにも鮮明だったので、自分でもびっくりしました。

これは描いておかなきゃと思い、描いたのがこの絵。

言わずもがな、描きたかったものとは全く異なる出来栄えです。

色鉛筆で描いたもんで、ふんわりふわふわ。
重厚感とは程遠い、ぜんぜん真逆のものになってしまいました。

まあでも、「フクロウを描きたいのだ」という思いは留めておくことができたので、
これはこれでよしとします。






昨日、ダウンロード販売サイト「DLmarket」の運営事務局からメールが届き、
「不正アクセスによる個人情報流出の可能性がある」との知らせを受けました。

非常に、ショックです。
「DLmarket」で、私はいくつかのイラストをダウンロード販売しています。

自分のイラストを気に入り、ダウンロードしてくださった方に、
このような迷惑が及んだのかと思うと、
本当に心苦しく、腹立たしさと申し訳ない気持ちでいっぱいです。


実はだいぶ前のことですが、
私自身も他の某サイトで、同じような被害にあったことがあるのです。
その日を境に、登録していたメールアドレスに、気味の悪い迷惑メールが毎日届くようになり、
プライベートでも使っていたアドレスだったので、
アドレスを変更するにも、それぞれ個別に対応しなければならず、
ものすごく面倒で大変な思いをしました。

これに懲り、私は今はサイトの登録用とプライベート用とで、複数のアドレスを使い分けています。


ネットでつながっている以上、不正アクセスの危険性は常に付きまといます。

ネットショッピングなどでサイトに登録するアドレスは、
万が一にも個人情報が漏れた際のリスクを考え、
いつでも使い捨てできるものにしておいたほうがいいです。


「DLmarket」から個人情報流出の対象者として連絡を受けた方は、
不審なメールが届いても開封せず、速やかに「DLmarket」に連絡してください。
「DLmarket」が、パスワードやクレジットカード情報などを聞いてくることは絶対にありません。
不審なメールに記載されたURLや添付ファイルを開いたりしないよう、くれぐれも注意してください。


「DLmarket」のホームページに、今回の個人情報流出についての詳細が記載されています。
お問い合わせフォームの案内もありますので、そちらもしっかり確認しておいていただきたいです。
ご迷惑とご面倒をお掛けしますが、どうか、よろしくお願いいたします。

【ダウンロード販売サイト「DLmarket」の個人情報流出の可能性について】







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上の姪っ子への誕生日プレゼント。
今年は木彫りシリーズです。

陸上部で毎日頑張っているようなので、走っている姿をイメージして作りました。
黄金の足ー!っていう感じです。






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会うたびに、ぐんぐん大きくなっていて、びっくりさせられるのだけど、
無邪気な笑顔は変わらないでいてくれていることに、私は内心、ほっとしています。

今回のプレゼントにも、とっても素直に喜んでくれました。
別れ際「ありがとう~!」と、笑顔で何度も手を振ってくれた姿が、嬉しかったな。







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その力強い足で、しっかりと今を踏みしめ、
これからも好奇心を持って、いろんなことに挑戦していってほしいです。






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先日 NKHのクローズアップ現代で、「樹木希林さん 直筆の手紙」
というのがやっていたのだけども、その番組中のテロップに、

“ 死ぬことは 人の中に生きること ” という言葉があって、
私はこれに、ハッとさせられた。

死生観については、私自身も同じような思いを常日頃から抱いている。
それなのに、なぜそんなに衝撃を受けたのか。

それは私が、遺された側の立場で「死」というものを考えているのに対し、
これはそうではなく、「死に逝く側」から発せられている言葉のように、思えたからだ。

言わんとしていることは、同じだ。
けれど、見ている方向が全く違う。


命尽きようとも、魂は心の中で生き続けるのだと、
人一倍、そう強く信じているくせに、
私自身は、自分が死んだら誰かの心の中で生きるのだ、などとは考えたことがない。
そんなふうに思える相手など、自分にはいやしないのだから、
当然といえば当然のことだ。

いつか自分も、そんなふうに思える時がくるのだろうか。
私が絵に込めた想いは、誰かの心の中で、生き続けることができるだろうか。
そんなことを、ふと思った。






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