2019年08月31日 研究中 アナログ感のある、はんこ風なイラストに見えるかと思いますが、デジタル活用です。 紙に描いた水彩画をスキャンし、 その画像を、好みの形に切り取って、イラストにしました。 パソコン上で「貼り絵」をするような感じでしょうか。 以前は、デジタルかアナログか、その二者択一しか頭にありませんでしたが 最近ようやく、アナログとデジタルを組み合わせることの楽しさに気がつき、 いろいろと試行錯誤しながら、自分なりの表現を研究しております。
2019年08月29日 生と死と チロとチッタ。 同じ黒毛の、異なる命。 チロのぬくもりに 耳をあてたなら、 かつてのチッタと同じ、命の鼓動が聞こえる。 そんな当たり前のことが、妙に、愛おしい。 つながっているのだ、なにも かも。 すべては、つながっている。絶え間なく、どこかへと。 私たちは きっと、いつの日か、 ひとつの真実となって、永遠の中に、溶け行くだろう。
2019年08月15日 祈菊 檜の端材で作った、白菊の木彫り。 「木を彫る」という行為は、 「祈りを込める」ということに、限りなく近いと思う。 戦後74年。 どんなに時が経っても、過ちの消えることは、決してない。 奪われし命の、その無念を、 私たちは、ひとつとして、忘れてはならない。 抱き続けること。覚悟をもって、背負い続けること。 自分に何ができるのか。何をすべきなのか。 絶えず、問い続けていきたい。
2019年08月02日 無垢 ぶーちゃんの死は、苦しみの果てにあった。 長い間、病と闘い、幾度もの検査に耐え、 そして最期は、もがき、苦しみ、息をひきとった。 それなのに、ぶーちゃんの死顔は、 壮絶な苦しみを露とも感じさせないほど、安らかなものだった。 誇らしげに、勇ましく、笑みを浮かべているようにさえ、私には思えた。 ぶーちゃんは本当に強くて、立派な子だった。 その夜、私は自分のベッドに ぶーちゃんを寝かせると、 ひんやりと冷たい体を、そっと優しく撫でながら、 何度も何度も、ぶーちゃんの名を呼び続けた。子守唄のように。 私は、動かぬぶーちゃんと一緒に、眠りについた。 いつの間にか朝がきて、私だけが目覚める。 真っ先にぶーちゃんを確かめると、 ぶーちゃんの顔は、昨日のそれとは、少し違うものに変わっていた。 まるで子猫みたいに、あどけない顔をして、 私の枕もとで、微笑むように、眠っている。 それは私が今までに見たこともないような、 本当に、天使のように愛おしい、無垢な微笑みだった。 あの夏から、11年。 ぶーちゃんの苦しみに最後まで寄り添い、 全身全霊をかけ、自分で看取ることができたこと、 そして、今年も無事に、ぶーちゃんの命日を迎え、供養することができたことに、 私は改めて、心から、感謝したい。