藍色の星たちへ

こころの詩を描く旅。

カテゴリ: 日記

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こんなにも、愛おしい

唯一無二の 温もりを、

永遠(とわ)に抱くことを 許された 私は、

計り知れないほど 罪深く、

その苦しみに、何度 圧し潰されようとも、

心底、幸せであると 思う。







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秋も深まり、だいぶ寒くなってきました。

座椅子に座り、ひざにコタツ布団を被せると、
チロが待ってましたと言わんばかりに、上に乗っかってきます。

すると、ミカちゃんも負けじとチロの上によじ登り、
わずかなスペースに、体をムギュムギュ~っと、うずめます。


ああ、今年も現れた。ひざの上に、白と黒の 巨大なお饅頭。

ぴったりと行儀よくくっついて、じ~っとしている。
なんともユーモラスで、愛おしい・・・。


とは言うものの、その重さは合計9キロ強。

さすがに何時間も乗っかっていられると、足はビリビリ、しびれまくり。
結構、しんどかったりなんかする。



そうか・・・

「愛」というのは、ときに重たくて、ちょっぴり煩わしくもあり、
だけど、常に、あったかい・・・。

なんて、思ったりなんかして。





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昔から、素敵な包装紙や布地の絵柄を見るのが好きで、
いつか自分でもデザインしたいと、ずっと思っていました。

ここ最近、再びデジタルでの制作に力を入れるようになったのは、
その思いが、いよいよ強まったからでもあります。


包装紙などに使われる絵柄のデザインは、どこで切れてもいいように
繰り返しの「パターン(模様)」になっているのが通常。


「Photoshop」や「Illustrator」があれば、
自分の描いた絵を、手軽にパターン化させることができるのです。




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なんてことない、ちょっとした絵も、
規則正しく画面上にずらっと並ぶと、思わずにんまり。

オリジナルの模様が作れて、嬉しくなっちゃいます。


絵を使って「デザインする」って、おもしろいな~と、
しみじみ実感している、今日この頃です。






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誰が言ったのか、何に書いてあったのか、

正確な文章や細かな文脈は覚えていないのだけども、

強い感銘を受け、心の支えとしている言葉が ある。


【 生きていくために必要なのは、「意味」ではなくて、「意志」だ・・・】



今まで、何度この言葉を自分に言い聞かせてきたことだろう。

本当に、その通りだと思う。


苦しい時ほど、人は「生きる意味」を求めようとする。

だけど、大事なのは「意味」ではなく、

自分を生き抜く「意志」を持つことだ。しっかりと。力強く。


負けたくない。頑張ろう。






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そよ吹く風に、秋を感じる 今日この頃。

朝早く、窓を開けて 空を見上げると、

澄んだ青が、どこまでも高く、続いていた。


適度に小分けされた白い雲が、風に乗って、流れていく。


遅すぎず、速すぎず。マーチのごときスピード。

朝日に輝きながら、ぐんぐん、ぐんぐん・・・!



ああ、 なんというか。

いつまででも、眺めていられるな~


流れゆく雲をずっと見ていると、

自分の心まで、なんだかふわりと、軽くなっていくような、

そんな気がするから、不思議だ。


うつむいてばかりいると、大事なものを見失う。

たまには空を、見ないとね。






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adobeの「illustrator」というソフトがありまして、
今、一生懸命、勉強しております。

実は3年ほど前にも、「1年ライセンス」で購入したことがあるのですが、
すぐに挫折してしまい、ろくに使いもせず、非常にもったいないことをしました。


adobe製品は「photoshop elements」を持ってるので、
デジタル的なことは、それでなんとかやっていこうと思っていたのですが、
様々なコンペに積極的に参加していくには、
「illustrator」のスキルがどうしても必要になってくるという現実にぶち当たり、
先月、意を決して、再び「1年ライセンス」を購入した次第です。

今まで、グラデーションツールが嫌いで、まったく使ったことがありませんでしたが、
「グラデーションメッシュ」や「ぼかし」の効果を、ほんのり効かせると、
パステル画のような温かみのある質感が出せることを知りました。


丸っこい三角を連ねた、赤い飾り枠が気に入ってます。






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ブログにはあまり載せていませんが、
最近、草花を描くことがとても多くなりました。

この絵は、お仏壇に飾っていたアスター(エゾギク)をスケッチしたもの。
丸っこい小さなお花が、枝分かれした茎の先々にたくさんついていて、とても可愛いです。


きんとんみたいに、ぎっしり咲いてる子もいれば、
アポロチョコみたいにギザギザしてる子。
飴玉みたいなぷっくりした蕾が、あちこちに。

緑のガクがふさふさしてて、どれもなんだか美味しそう。
一つ一つが、色も形もとても表情豊かで、ずっと眺めていたくなります。


以前は花を見ても、きれいだな~と思うだけで、
「描きたい!」とは、正直あまり思いませんでした。

それが変わったのは、バラの老木のできごとがあってからです。

草花の命のたくましさ、健気さ。日々変わりゆく、美しさ。
愛おしいな~と、純粋に、そう思います。


ちなみに「アスター」とは、ギリシア語で「星」という意味だそうで。
現代に生きる私は、食べ物にばかり例えてしまいましたが、
遥か昔の人々は、花の咲く姿を星に見立てていたということなのですね・・・






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アナログ感のある、はんこ風なイラストに見えるかと思いますが、デジタル活用です。

紙に描いた水彩画をスキャンし、
その画像を、好みの形に切り取って、イラストにしました。

パソコン上で「貼り絵」をするような感じでしょうか。


以前は、デジタルかアナログか、その二者択一しか頭にありませんでしたが
最近ようやく、アナログとデジタルを組み合わせることの楽しさに気がつき、
いろいろと試行錯誤しながら、自分なりの表現を研究しております。







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檜の端材で作った、白菊の木彫り。

「木を彫る」という行為は、
「祈りを込める」ということに、限りなく近いと思う。


戦後74年。

どんなに時が経っても、過ちの消えることは、決してない。
奪われし命の、その無念を、
私たちは、ひとつとして、忘れてはならない。

抱き続けること。覚悟をもって、背負い続けること。

自分に何ができるのか。何をすべきなのか。
絶えず、問い続けていきたい。






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ぶつ切りの トマトが妙に
おいしくて、

ふと甦る 父の姿を、
しみじみ、懐かしく想う。

今日も暑い。 暑い、盆前の夜。





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ぶーちゃんの死は、苦しみの果てにあった。

長い間、病と闘い、幾度もの検査に耐え、
そして最期は、もがき、苦しみ、息をひきとった。


それなのに、ぶーちゃんの死顔は、
壮絶な苦しみを露とも感じさせないほど、安らかなものだった。

誇らしげに、勇ましく、笑みを浮かべているようにさえ、私には思えた。

ぶーちゃんは本当に強くて、立派な子だった。



その夜、私は自分のベッドに ぶーちゃんを寝かせると、
ひんやりと冷たい体を、そっと優しく撫でながら、
何度も何度も、ぶーちゃんの名を呼び続けた。子守唄のように。

私は、動かぬぶーちゃんと一緒に、眠りについた。



いつの間にか朝がきて、私だけが目覚める。

真っ先にぶーちゃんを確かめると、
ぶーちゃんの顔は、昨日のそれとは、少し違うものに変わっていた。


まるで子猫みたいに、あどけない顔をして、
私の枕もとで、微笑むように、眠っている。

それは私が今までに見たこともないような、
本当に、天使のように愛おしい、無垢な微笑みだった。




あの夏から、11年。

ぶーちゃんの苦しみに最後まで寄り添い、
全身全霊をかけ、自分で看取ることができたこと、

そして、今年も無事に、ぶーちゃんの命日を迎え、供養することができたことに、
私は改めて、心から、感謝したい。







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計り知れない、無念の思い。

どうして、

なんで、

怒りと悲しみ、ぐるぐると渦を巻き、

祈ることすら、ままならない。

手にした小さな木片を、

削っても削っても、何も変わるはずもなく、

私はただひたすら、重く沈んでいく自分の心を、

じっと、みつめている。







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最近、こういう感じの絵を黙々と描いております。


A4のコピー用紙に鉛筆で描いた線画。

クロッキーの一環で描いていたのだけども、
いい絵になりそうだったので、ついつい時間をかけ、きっちり描きすぎちゃった。





スキャンして、photoshopのバケツツールでざっくり着色。



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やはり・・・

なんか漫画っぽい雰囲気になっちゃった。






どうもイマイチだな~と思い、
「フィルター」とやらを適当にいじくってテクスチャを加え、こんな感じに。



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どうでしょか?

photoshopは便利だし、いろんな風に変化をつけられて面白いと思うのだけど、
いくらでも直せるが故に、どれが一番いいかわからなくなってくるので困ります。。。







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なんだこの絵は?と思われそうですが、
「あじさい」です。


2年前に植えた、庭のあじさい。
昨年は1つしか花をつけず、ちょっと心配しましたが、
今年はだいぶ成長し、10個くらいの花をつけてくれました。

すべての蕾が、一斉に咲くのではなくて、
花の大きさや咲き具合は、茎ごとにそれぞれ違っています。

毬のように立派なものもあれば、
まだらに咲いてるものがあったり、
ほとんど蕾状態のものがあったり、マチマチです。

なんか、ひとつの家族みたいだな~と思い、描きました。




この絵を描いたのは、3日前。18日のことです。

その翌日の晩に、山形県沖での大地震が起き、
この絵を使ってブログを更新するかどうか、本当は迷いました。

明日以降、新潟・山形では大気が不安定になるとのこと。
余震の続く中、雨風の影響がとても心配です。


大きな地震が、頻発している。

もっともっと、真剣にならなければならない。
覚悟をもって、生きなければ。

そう思います。





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黙々とパソコンで作業をしていたときのこと。
そんな私をじっとみつめる、チロのまなざしに気がつきました。

布団からムクリと体を起こし、
微動だにせず、じーっと、じーっと。

ふふふ。かわいいな~
何を考えてるんだろうな~

ちょうどペンタブを使っていたので、すかさず描き留めました。
ぎこちない線が、味わい深くていいな~と思います。





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姉のお友達の誕生日プレゼントに、彫りました。

手のひらでギュッと握れちゃうくらい、小さな小さな木彫りです。



家族以外に自分の木彫りをプレゼントするのは初めてだったので、
大丈夫かな~、やっぱりやめておこうかな~と、
長いこと一人モヤモヤ、臆病風と戦っていたのですが、
「やっぱり彫りたい!プレゼントしたい!」 と、一大決心。


実を言うと、最初に彫ったのは、先日の「太陽のお顔」の木彫りだったのですが、

いや~ いきなりコレもらったら びっくりするだろ~~っ!
と思わず自分にツッコミを入れ、プレゼント却下。

そこで次に彫ったのが、この桜の花の木彫り、というわけです。

ちょっとイビツな形をしていますが、私はそこが気に入っています。





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つるんと滑らかな、整った仕上がりの木彫りよりも、
私はゴツゴツとした、無骨な感じの木彫りが好き。

着色は、木の温もりが感じられるくらいに、さり気なく・・・。

できあがった木彫りを、いろんな角度から眺めては、
いいね~ いいね~ と、相変わらず一人で自画自賛してましたが、
「すごく喜んでたよ~!」と姉伝いに聞き、とても嬉しいです。

喜んでもらえて、よかったよかった!







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子供のころ、イソップ物語の『北風と太陽』がすごく好きでした。

子供心に、とんちの効いた話だな~と思いましたが、
私は話の内容そのものよりも、
「北風」と「太陽」に、妙にリアルな、
彫りの深いお顔が描かれているのが、たまらなく好きだったのです。


当時私が読んだ『北風と太陽』は、昭和ならではの絵柄といいますか、
「北風」も「太陽」も「旅人」も、みんな古代彫刻みたいな表情をしていて、とにかくシュール。

「北風」が口をとんがらせながら、
びゅぅぅぅ~っ!!と、風を吹くシーンを見ては、
毎回無性に、わくわくドキドキしたものです。


そんなわけで、なんとなく、「太陽」を彫ってみました。

次は、「北風」を彫ってみようかな。





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らくがき帳から抜粋。
なんとなく描いた絵は、線が味わい深くていいな~と思う。






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小さな木片を、彫刻刀で黙々と彫っていると、
あっという間に、時間が過ぎてしまいます。

「彫る」というのは、力のいる作業なのに、
彫り進めていくほど、心は静まっていくのだから不思議です。

自我から解放されるような感じ…とでも言いましょうか。

ほんのひととき、無心になれる気がします。







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NHKの深夜から明け方にかけて放送されている「映像散歩」が好きです。

四季折々の美しい景色とか、大自然に生きる動物の姿とか、
貴重な映像が、いろいろ流れます。

余計なナレーションは一切なく、BGMだけなのが非常にいい!
絶対、おすすめです。



実は、「映像散歩」で見た情景に触発され、
「オオアリクイ」と「タテゴトアザラシ」の親子を描きたいと、
ず~っと前から、そう思っているのだけども、
スケッチ止まりで、気づけばもう、5年もの月日が経ってしまっています。





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スケッチは、あくまでもスケッチなので、
自分が描きたいイメージは、また別にあるのです。
いいかげん、形にしないとな。






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数年前に描いた、小さな絵。

描いた絵は、どれも私にとって大切な宝物だけど、
これはその中でも、特別な一枚。

描いては塗りつぶし、描いては塗りつぶし、
ふっと、姿を現した。



パソコンではなく、絵の具で絵を描くようになった当初、
自分が描きたいのは、「命」というものだな……と、
そんなふうに、漠然と思っていた。


でも、それは 違かった。


私が、本当に描きたいのは、
自分自身の中にある、「せつなさ」なのだと。

最近になって、ようやく、そのことに気がついた。


もしも、感情というものに、色があったなら、
私の目に、いちばん美しく映るのは、「せつなさ」だ。


私は、絵が好きで好きでたまらなくて、それで絵を描いているのではない。
そんな健全な人間では、まったくない。

私が絵を描くのは、
絵の中に、自分の想いを、留めておくためだ。



生まれた命は、必ず、終わりを迎える。

今日の真実が、明日もそうだとは、限らない。

この世のすべては、とめどなく、流れる。

変わらぬものなど、ありはしない。

それでも人は、「永遠」を求めずには、いられない。
ひどく弱い、生き物だ。


だから私は、絵の中に、「永遠」を求める。
変わらぬ想いが、ここにあるのだと。

描くことは、その証。







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名前を呼ぶと、ミカちゃんは必ず「ニャッ」と、返事をしてくれる。

お返事するミカちゃんの顔は、まるで笑っているみたいだ。



いつの頃からか、私が口をふくらませて、「ぶっ」と破裂音をだすと、
名前以上に、やたらと反応するようになった。




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私が「ぶっ」とやると、ミカちゃんが「ニャ!」と笑顔で答える。

「ぶっぶっぶっ…!」とやれば、

「ニャニャンニャ! ニャニャニャッ!」と返ってくる。

奇妙な会話は、とめどがない。
「ぶ」と「ニャ」は、引き寄せあうかのごとく、様々に呼応するのだ。




そんなミカちゃんの「ニャ」は、実に律儀である。

じっと丸まって眠っているのかと思いきや、
ささやくように「ぶっ」とやると、目をつぶったまま「ニャ」と言うもんだから、
こりゃたまらない。




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聞こえないくらいの、小さな小さな「ぶっ」なのに、
どうにもこうにも、反応せずにはいられないようだ。

ああ、かわいい、かわいい。
なんてかわいい、お返事ミカちゃん。






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年末のご挨拶ができないまま、新年となってしまいました。

今年こそは頑張る! そう誓ったのが、ついこの間のことのように、
気がつけば、もう2019年。

昨年の暮れは何かと慌ただしく、
母が人生初の手術を受けたりなど、いろいろありましたが、
こうして無事、新年を迎えられたことに感謝しています。

今年は亥年。
猪突猛進するくらいの勢いで、もっともっと必死になって、頑張りたいです。





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私にしてはめずらしく、ちょっとおしゃれな感じの絵ができました。

色画用紙に描いた絵を、Photoshopで適当にいじって加工したものです。






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ちなみにもとの絵はこんな感じ。

Photoshopで加工するのは楽しくもあり、ちょっとくやしくもある・・・。
お遊び程度にいじる分にはいいかな。




なぜこんな絵を描いたかといいますと、この間、夢の中で、とある芸人さんが、
くるくるオレンジの巨大なかつらをかぶってステージに立っていたのです。

そして、赤いワンピース。
なんというか、ミュージカルのアニーと魔法使いサリーちゃんを
足して2倍したような感じといいましょうか。

顔が白くて、オレンジ色のかつらが映えること! 
実際にやったら、絶対面白いと思うんだけどな~

本人に伝える術もないので、お絵かきして自己満足した次第です。






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自宅二階の一室が、テレちゃん専用の部屋だった。

テレちゃんは、もともとは野良である。
先住猫のミカちゃんと仲良くなれるまでは、ある程度、部屋を分けておく必要があった。


外で自由気ままに暮らしていたテレちゃんにとって、
閉ざされた家の中で生きることは、相当なストレスとなる。
私はせめて少しでも、テレちゃんに良い環境を与えてあげたかった。

二階の一室だけでなく、
もっと自由に家の中を歩き回れるようにしなければ……。

そんなわけで、一階をテレちゃん、二階をチロ&ミカちゃんの生活スペースにしようと考えた。



ところが、テレちゃんを抱っこして強制的に一階のリビングに連れてきても、
すぐに二階の自分の部屋に戻って行ってしまう。

一階の部屋は、まだ未知の場所。怖いのだろう。

私は、テレちゃんが自分から階下に降りてくるのを待つことにした。
焦りは禁物なのだ。



けれど数か月が過ぎても、
テレちゃんの生活ベースは、相変わらず二階の一室のままだった。

みんなが寝静まった頃に、こっそり降りてきて
リビングのコタツに入っていたりすることはあるものの、
そうでないときは、階段の影から、一階の様子を静かにうかがっている。


一階と二階をつなぐ階段が、テレちゃんのボーダーラインになっていた。

「テレちゃん、こっちおいで~」と優しく言っても、降りてこない。
階段の真ん中で、じっと私の顔をみつめている。
白熱灯のオレンジの灯りの下で、テレちゃんの瞳はまあるく黒目を帯び、
ますます愛おしく思えた。




そんなテレちゃんが、亡くなる前日の夜、
初めて、自分から一階のリビングへとやってきた。

とても驚いたし、うれしかった。本当に。
自発的に来てくれるのを、ずっと待っていたから。

ちょうど焼き魚があったので、その身をほぐし、テレちゃんに差し出すと、
テレちゃんは私の指にしゃぶりつくようにして、
ハグハグと、勢いよく食べてくれた。


本当のことを言うと、テレちゃんは長い間、酷い口内炎に苦しまされていた。

手作り食をペースト状にして与えたり、サプリメントをあげてみたり、
マヌカハニーや熊笹、いろんなことを試したけれど、
大きな効果はなかなか得られない。

頼みの綱のステロイドも、あまり効いているようには思えなかった。

そんなテレちゃんが、痛み声をあげることなく、
私の目の前で、おいしそうに魚を食べている。

これは本当に、心底うれしかった。

テレちゃんはきっと良くなる。絶対、元気になってくれる……。
私は、疑いのない希望を感じていた。

テレちゃんが次の日 死んでしまうなんて、
私は、これっぽっちも思ってなどいなかったのだ。
まったく。微塵たりとも。


今考えれば、これはテレちゃんの「お別れのあいさつ」だったのだろうと思う。
テレちゃんは最後の夜を、私と一緒に過ごしてくれたのだ。

明け方までテレちゃんは、ずっとコタツに入っていた。
徹夜する私の足元で、甘えたような顔をして、幸せそうに、丸くなっていた。



思い返したなら、ぶーちゃんのときも、そうだった。
亡くなる前日の朝、私の枕元にとびのってきたのだ。

そんな動きなどできないほど、日に日に弱っていくばかりだったから、
ぶーちゃんが、久しぶりに甘えてきてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。

このときも私は、これならきっとぶーちゃんは大丈夫だと、
必ずまたきっと良くなってくれると、かすかな希望を抱いていた……。



階段をのぼるテレちゃんの姿。
ずっと描きたいと思っていた。
けど、なかなかできずにいた。

五年目を迎えた今。やっと描きとどめることができてうれしい。


私にはまだまだ、描きたい絵がある。
描いておかなければならない。もっと。もっと。






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らくがき帳に なんとなく描いた絵が、結構気に入ったりするときがある。


そんな絵は スキャンしておいて、
ときどきPhotoshopで ちょこっと色をつけたりなんかする。

そうすると、また違った雰囲気になって、なかなかおもしろい。




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どっちがいいかな~、
う~ん…、やっぱボールペンが好きなんだよな~と、
誰に聞かれるわけでもないのに、勝手に一人で悩んでいたりする。








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部屋の一角に、大切な写真が飾ってあります。

チッタとぶーちゃん、そして、テレちゃんとチョビの写真。

毎日必ず、一度は手を合わせます。


10月に入り、秋めいてきたある日のこと。

ものすごく嬉しいことがあって、
わたしはみんなの写真に手を合わせながら、お礼の報告をしていました。


カーテン越しの柔らかな日差しの中。

静けさを抱えるように、一人写真と向き合っていると、
何とも言えない、厳かな気持ちになります。

わたしは いつも以上にゆっくりと、
感謝の思いをこめて、愛猫たちの写真をみつめていました。



2枚の写真が、木製のシンプルなフレームに、それぞれ入っています。

羽毛布団の中から顔を出してるぶーちゃんと、
その横でゴジラみたいな顔してあくびしてるチッタ。

小雪のちらつく日。ダンボール箱の中で、仲良く暖をとるテレちゃんとチョビ。

ふふふ。 本当に、いい写真だなぁ・・・


愛おしむように、カメラ目線のテレちゃんのお顔を、
じーっと みつめていた、そのときでした。

写真の中のテレちゃんが、突然リアルに、浮き上がって見えてきたのです。

テレちゃんだけじゃありません。チョビもチッタも、ぶーちゃんも!

わたしの目には、写真なんかじゃ、ない。
鮮やかな命が、そこにそのまま生きているかのように、思えました。

なんと言ったらいいのか。

写真の枠の中に異空間が広がっていて、そこで今も変わらず生き続けているような、
それを見ているような、そんな感じです。


その瞬間、無性に涙がこみあげてきました。

あぁ、わたしは、守られている。
こんなにも、守られているのだ。

そう思ったのです。

うまく言えないけれど、ひとつの喜びの中に、一緒にいるような気がしました。
生と死を越えて、再び会えたような。 同じ魂を、共有しているような。


わたしたちは、こんなにもすぐそばにいるのだ。
いつだって。
心から、そう思えた瞬間でした。

とても、とても、不思議な感覚でした。







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姉への誕生日プレゼント。今年は木彫りです。


「あふれる愛」で、これからも温かな家庭を守っていってほしい
という願いをこめて。







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これまでの木彫り作品は、茶系で木を地塗りしてたのですが、
今回は、ハートを淡いピンク色にしたいなと思ったので、
地塗りは白にして、着色しました。

やっぱり地の色が違うと仕上がりも全然変わってきます。
なかなかいい感じの色味。結構透明感があり、木目もよく見えます。







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すごくかわいい! と、今年も無事、喜んでもらえました。
よかった、よかった♪






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テレビをつけ、座椅子にぼ~っと座っていたら、
フクロウの可愛い映像が流れ、なんとなく見ていました。

そしてそのあと、とある映画を、そのままなんとなく見ていました。

映画の中に出てくる建物やアンティークのインテリアがとても素敵で、
私の意識は、自然とそちらへ向かっていきました。

ロココ調のカーテン。ビロードのソファ。
壁の随所に飾られた油絵が、チラリチラリと目に映ります。

そのときです。

私の脳裏に、古びたフクロウの絵のイメージが、突如ボン!と湧き上がりました。
厚塗りの、ちょっと角ばったシュールな感じです。

どうやら直前に見たフクロウの映像と、映画のアンティークな重厚感が、
自分の頭の中でミックスされたらしく、
混ざり合って出てきたそのイメージが、あまりにも鮮明だったので、自分でもびっくりしました。

これは描いておかなきゃと思い、描いたのがこの絵。

言わずもがな、描きたかったものとは全く異なる出来栄えです。

色鉛筆で描いたもんで、ふんわりふわふわ。
重厚感とは程遠い、ぜんぜん真逆のものになってしまいました。

まあでも、「フクロウを描きたいのだ」という思いは留めておくことができたので、
これはこれでよしとします。






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上の姪っ子への誕生日プレゼント。
今年は木彫りシリーズです。

陸上部で毎日頑張っているようなので、走っている姿をイメージして作りました。
黄金の足ー!っていう感じです。






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会うたびに、ぐんぐん大きくなっていて、びっくりさせられるのだけど、
無邪気な笑顔は変わらないでいてくれていることに、私は内心、ほっとしています。

今回のプレゼントにも、とっても素直に喜んでくれました。
別れ際「ありがとう~!」と、笑顔で何度も手を振ってくれた姿が、嬉しかったな。







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その力強い足で、しっかりと今を踏みしめ、
これからも好奇心を持って、いろんなことに挑戦していってほしいです。






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