2019年12月09日 抱 こんなにも、愛おしい 唯一無二の 温もりを、 永遠(とわ)に抱くことを 許された 私は、 計り知れないほど 罪深く、 その苦しみに、何度 圧し潰されようとも、 心底、幸せであると 思う。
2019年11月15日 ひざの上の風物詩 秋も深まり、だいぶ寒くなってきました。 座椅子に座り、ひざにコタツ布団を被せると、 チロが待ってましたと言わんばかりに、上に乗っかってきます。 すると、ミカちゃんも負けじとチロの上によじ登り、 わずかなスペースに、体をムギュムギュ~っと、うずめます。 ああ、今年も現れた。ひざの上に、白と黒の 巨大なお饅頭。 ぴったりと行儀よくくっついて、じ~っとしている。 なんともユーモラスで、愛おしい・・・。 とは言うものの、その重さは合計9キロ強。 さすがに何時間も乗っかっていられると、足はビリビリ、しびれまくり。 結構、しんどかったりなんかする。 そうか・・・ 「愛」というのは、ときに重たくて、ちょっぴり煩わしくもあり、 だけど、常に、あったかい・・・。 なんて、思ったりなんかして。
2019年11月11日 模様 昔から、素敵な包装紙や布地の絵柄を見るのが好きで、 いつか自分でもデザインしたいと、ずっと思っていました。 ここ最近、再びデジタルでの制作に力を入れるようになったのは、 その思いが、いよいよ強まったからでもあります。 包装紙などに使われる絵柄のデザインは、どこで切れてもいいように 繰り返しの「パターン(模様)」になっているのが通常。 「Photoshop」や「Illustrator」があれば、 自分の描いた絵を、手軽にパターン化させることができるのです。 なんてことない、ちょっとした絵も、 規則正しく画面上にずらっと並ぶと、思わずにんまり。 オリジナルの模様が作れて、嬉しくなっちゃいます。 絵を使って「デザインする」って、おもしろいな~と、 しみじみ実感している、今日この頃です。
2019年11月02日 生きる。 誰が言ったのか、何に書いてあったのか、 正確な文章や細かな文脈は覚えていないのだけども、 強い感銘を受け、心の支えとしている言葉が ある。 【 生きていくために必要なのは、「意味」ではなくて、「意志」だ・・・】 今まで、何度この言葉を自分に言い聞かせてきたことだろう。 本当に、その通りだと思う。 苦しい時ほど、人は「生きる意味」を求めようとする。 だけど、大事なのは「意味」ではなく、 自分を生き抜く「意志」を持つことだ。しっかりと。力強く。 負けたくない。頑張ろう。
2019年10月01日 雲のマーチ そよ吹く風に、秋を感じる 今日この頃。 朝早く、窓を開けて 空を見上げると、 澄んだ青が、どこまでも高く、続いていた。 適度に小分けされた白い雲が、風に乗って、流れていく。 遅すぎず、速すぎず。マーチのごときスピード。 朝日に輝きながら、ぐんぐん、ぐんぐん・・・! ああ、 なんというか。 いつまででも、眺めていられるな~ 流れゆく雲をずっと見ていると、 自分の心まで、なんだかふわりと、軽くなっていくような、 そんな気がするから、不思議だ。 うつむいてばかりいると、大事なものを見失う。 たまには空を、見ないとね。
2019年09月23日 日々練習 adobeの「illustrator」というソフトがありまして、 今、一生懸命、勉強しております。 実は3年ほど前にも、「1年ライセンス」で購入したことがあるのですが、 すぐに挫折してしまい、ろくに使いもせず、非常にもったいないことをしました。 adobe製品は「photoshop elements」を持ってるので、 デジタル的なことは、それでなんとかやっていこうと思っていたのですが、 様々なコンペに積極的に参加していくには、 「illustrator」のスキルがどうしても必要になってくるという現実にぶち当たり、 先月、意を決して、再び「1年ライセンス」を購入した次第です。 今まで、グラデーションツールが嫌いで、まったく使ったことがありませんでしたが、 「グラデーションメッシュ」や「ぼかし」の効果を、ほんのり効かせると、 パステル画のような温かみのある質感が出せることを知りました。 丸っこい三角を連ねた、赤い飾り枠が気に入ってます。
2019年09月05日 可愛いアスター ブログにはあまり載せていませんが、 最近、草花を描くことがとても多くなりました。 この絵は、お仏壇に飾っていたアスター(エゾギク)をスケッチしたもの。 丸っこい小さなお花が、枝分かれした茎の先々にたくさんついていて、とても可愛いです。 きんとんみたいに、ぎっしり咲いてる子もいれば、 アポロチョコみたいにギザギザしてる子。 飴玉みたいなぷっくりした蕾が、あちこちに。 緑のガクがふさふさしてて、どれもなんだか美味しそう。 一つ一つが、色も形もとても表情豊かで、ずっと眺めていたくなります。 以前は花を見ても、きれいだな~と思うだけで、 「描きたい!」とは、正直あまり思いませんでした。 それが変わったのは、バラの老木のできごとがあってからです。 草花の命のたくましさ、健気さ。日々変わりゆく、美しさ。 愛おしいな~と、純粋に、そう思います。 ちなみに「アスター」とは、ギリシア語で「星」という意味だそうで。 現代に生きる私は、食べ物にばかり例えてしまいましたが、 遥か昔の人々は、花の咲く姿を星に見立てていたということなのですね・・・
2019年08月31日 研究中 アナログ感のある、はんこ風なイラストに見えるかと思いますが、デジタル活用です。 紙に描いた水彩画をスキャンし、 その画像を、好みの形に切り取って、イラストにしました。 パソコン上で「貼り絵」をするような感じでしょうか。 以前は、デジタルかアナログか、その二者択一しか頭にありませんでしたが 最近ようやく、アナログとデジタルを組み合わせることの楽しさに気がつき、 いろいろと試行錯誤しながら、自分なりの表現を研究しております。
2019年08月15日 祈菊 檜の端材で作った、白菊の木彫り。 「木を彫る」という行為は、 「祈りを込める」ということに、限りなく近いと思う。 戦後74年。 どんなに時が経っても、過ちの消えることは、決してない。 奪われし命の、その無念を、 私たちは、ひとつとして、忘れてはならない。 抱き続けること。覚悟をもって、背負い続けること。 自分に何ができるのか。何をすべきなのか。 絶えず、問い続けていきたい。
2019年08月02日 無垢 ぶーちゃんの死は、苦しみの果てにあった。 長い間、病と闘い、幾度もの検査に耐え、 そして最期は、もがき、苦しみ、息をひきとった。 それなのに、ぶーちゃんの死顔は、 壮絶な苦しみを露とも感じさせないほど、安らかなものだった。 誇らしげに、勇ましく、笑みを浮かべているようにさえ、私には思えた。 ぶーちゃんは本当に強くて、立派な子だった。 その夜、私は自分のベッドに ぶーちゃんを寝かせると、 ひんやりと冷たい体を、そっと優しく撫でながら、 何度も何度も、ぶーちゃんの名を呼び続けた。子守唄のように。 私は、動かぬぶーちゃんと一緒に、眠りについた。 いつの間にか朝がきて、私だけが目覚める。 真っ先にぶーちゃんを確かめると、 ぶーちゃんの顔は、昨日のそれとは、少し違うものに変わっていた。 まるで子猫みたいに、あどけない顔をして、 私の枕もとで、微笑むように、眠っている。 それは私が今までに見たこともないような、 本当に、天使のように愛おしい、無垢な微笑みだった。 あの夏から、11年。 ぶーちゃんの苦しみに最後まで寄り添い、 全身全霊をかけ、自分で看取ることができたこと、 そして、今年も無事に、ぶーちゃんの命日を迎え、供養することができたことに、 私は改めて、心から、感謝したい。
2019年07月21日 沈黙の祈り 計り知れない、無念の思い。 どうして、 なんで、 怒りと悲しみ、ぐるぐると渦を巻き、 祈ることすら、ままならない。 手にした小さな木片を、 削っても削っても、何も変わるはずもなく、 私はただひたすら、重く沈んでいく自分の心を、 じっと、みつめている。
2019年07月15日 最近 最近、こういう感じの絵を黙々と描いております。 A4のコピー用紙に鉛筆で描いた線画。 クロッキーの一環で描いていたのだけども、 いい絵になりそうだったので、ついつい時間をかけ、きっちり描きすぎちゃった。 スキャンして、photoshopのバケツツールでざっくり着色。 やはり・・・ なんか漫画っぽい雰囲気になっちゃった。 どうもイマイチだな~と思い、 「フィルター」とやらを適当にいじくってテクスチャを加え、こんな感じに。 どうでしょか? photoshopは便利だし、いろんな風に変化をつけられて面白いと思うのだけど、 いくらでも直せるが故に、どれが一番いいかわからなくなってくるので困ります。。。
2019年06月21日 あじさい家族 なんだこの絵は?と思われそうですが、 「あじさい」です。 2年前に植えた、庭のあじさい。 昨年は1つしか花をつけず、ちょっと心配しましたが、 今年はだいぶ成長し、10個くらいの花をつけてくれました。 すべての蕾が、一斉に咲くのではなくて、 花の大きさや咲き具合は、茎ごとにそれぞれ違っています。 毬のように立派なものもあれば、 まだらに咲いてるものがあったり、 ほとんど蕾状態のものがあったり、マチマチです。 なんか、ひとつの家族みたいだな~と思い、描きました。 この絵を描いたのは、3日前。18日のことです。 その翌日の晩に、山形県沖での大地震が起き、 この絵を使ってブログを更新するかどうか、本当は迷いました。 明日以降、新潟・山形では大気が不安定になるとのこと。 余震の続く中、雨風の影響がとても心配です。 大きな地震が、頻発している。 もっともっと、真剣にならなければならない。 覚悟をもって、生きなければ。 そう思います。
2019年05月31日 見てる 黙々とパソコンで作業をしていたときのこと。 そんな私をじっとみつめる、チロのまなざしに気がつきました。 布団からムクリと体を起こし、 微動だにせず、じーっと、じーっと。 ふふふ。かわいいな~ 何を考えてるんだろうな~ ちょうどペンタブを使っていたので、すかさず描き留めました。 ぎこちない線が、味わい深くていいな~と思います。
2019年04月30日 夢桜 姉のお友達の誕生日プレゼントに、彫りました。 手のひらでギュッと握れちゃうくらい、小さな小さな木彫りです。 家族以外に自分の木彫りをプレゼントするのは初めてだったので、 大丈夫かな~、やっぱりやめておこうかな~と、 長いこと一人モヤモヤ、臆病風と戦っていたのですが、 「やっぱり彫りたい!プレゼントしたい!」 と、一大決心。 実を言うと、最初に彫ったのは、先日の「太陽のお顔」の木彫りだったのですが、 いや~ いきなりコレもらったら びっくりするだろ~~っ! と思わず自分にツッコミを入れ、プレゼント却下。 そこで次に彫ったのが、この桜の花の木彫り、というわけです。 ちょっとイビツな形をしていますが、私はそこが気に入っています。 つるんと滑らかな、整った仕上がりの木彫りよりも、 私はゴツゴツとした、無骨な感じの木彫りが好き。 着色は、木の温もりが感じられるくらいに、さり気なく・・・。 できあがった木彫りを、いろんな角度から眺めては、 いいね~ いいね~ と、相変わらず一人で自画自賛してましたが、 「すごく喜んでたよ~!」と姉伝いに聞き、とても嬉しいです。 喜んでもらえて、よかったよかった!
2019年04月11日 太陽のお顔 子供のころ、イソップ物語の『北風と太陽』がすごく好きでした。 子供心に、とんちの効いた話だな~と思いましたが、 私は話の内容そのものよりも、 「北風」と「太陽」に、妙にリアルな、 彫りの深いお顔が描かれているのが、たまらなく好きだったのです。 当時私が読んだ『北風と太陽』は、昭和ならではの絵柄といいますか、 「北風」も「太陽」も「旅人」も、みんな古代彫刻みたいな表情をしていて、とにかくシュール。 「北風」が口をとんがらせながら、 びゅぅぅぅ~っ!!と、風を吹くシーンを見ては、 毎回無性に、わくわくドキドキしたものです。 そんなわけで、なんとなく、「太陽」を彫ってみました。 次は、「北風」を彫ってみようかな。
2019年03月25日 木彫り合掌 小さな木片を、彫刻刀で黙々と彫っていると、 あっという間に、時間が過ぎてしまいます。 「彫る」というのは、力のいる作業なのに、 彫り進めていくほど、心は静まっていくのだから不思議です。 自我から解放されるような感じ…とでも言いましょうか。 ほんのひととき、無心になれる気がします。
2019年02月22日 スケッチ NHKの深夜から明け方にかけて放送されている「映像散歩」が好きです。 四季折々の美しい景色とか、大自然に生きる動物の姿とか、 貴重な映像が、いろいろ流れます。 余計なナレーションは一切なく、BGMだけなのが非常にいい! 絶対、おすすめです。 実は、「映像散歩」で見た情景に触発され、 「オオアリクイ」と「タテゴトアザラシ」の親子を描きたいと、 ず~っと前から、そう思っているのだけども、 スケッチ止まりで、気づけばもう、5年もの月日が経ってしまっています。 スケッチは、あくまでもスケッチなので、 自分が描きたいイメージは、また別にあるのです。 いいかげん、形にしないとな。
2019年01月29日 証(あかし) 数年前に描いた、小さな絵。 描いた絵は、どれも私にとって大切な宝物だけど、 これはその中でも、特別な一枚。 描いては塗りつぶし、描いては塗りつぶし、 ふっと、姿を現した。 パソコンではなく、絵の具で絵を描くようになった当初、 自分が描きたいのは、「命」というものだな……と、 そんなふうに、漠然と思っていた。 でも、それは 違かった。 私が、本当に描きたいのは、 自分自身の中にある、「せつなさ」なのだと。 最近になって、ようやく、そのことに気がついた。 もしも、感情というものに、色があったなら、 私の目に、いちばん美しく映るのは、「せつなさ」だ。 私は、絵が好きで好きでたまらなくて、それで絵を描いているのではない。 そんな健全な人間では、まったくない。 私が絵を描くのは、 絵の中に、自分の想いを、留めておくためだ。 生まれた命は、必ず、終わりを迎える。 今日の真実が、明日もそうだとは、限らない。 この世のすべては、とめどなく、流れる。 変わらぬものなど、ありはしない。 それでも人は、「永遠」を求めずには、いられない。 ひどく弱い、生き物だ。 だから私は、絵の中に、「永遠」を求める。 変わらぬ想いが、ここにあるのだと。 描くことは、その証。
2019年01月18日 お返事ミカちゃん 名前を呼ぶと、ミカちゃんは必ず「ニャッ」と、返事をしてくれる。 お返事するミカちゃんの顔は、まるで笑っているみたいだ。 いつの頃からか、私が口をふくらませて、「ぶっ」と破裂音をだすと、 名前以上に、やたらと反応するようになった。 私が「ぶっ」とやると、ミカちゃんが「ニャ!」と笑顔で答える。 「ぶっぶっぶっ…!」とやれば、 「ニャニャンニャ! ニャニャニャッ!」と返ってくる。 奇妙な会話は、とめどがない。 「ぶ」と「ニャ」は、引き寄せあうかのごとく、様々に呼応するのだ。 そんなミカちゃんの「ニャ」は、実に律儀である。 じっと丸まって眠っているのかと思いきや、 ささやくように「ぶっ」とやると、目をつぶったまま「ニャ」と言うもんだから、 こりゃたまらない。 聞こえないくらいの、小さな小さな「ぶっ」なのに、 どうにもこうにも、反応せずにはいられないようだ。 ああ、かわいい、かわいい。 なんてかわいい、お返事ミカちゃん。
2019年01月02日 謹賀新年2019 年末のご挨拶ができないまま、新年となってしまいました。 今年こそは頑張る! そう誓ったのが、ついこの間のことのように、 気がつけば、もう2019年。 昨年の暮れは何かと慌ただしく、 母が人生初の手術を受けたりなど、いろいろありましたが、 こうして無事、新年を迎えられたことに感謝しています。 今年は亥年。 猪突猛進するくらいの勢いで、もっともっと必死になって、頑張りたいです。
2018年12月14日 くるくるオレンジのかつら山 私にしてはめずらしく、ちょっとおしゃれな感じの絵ができました。 色画用紙に描いた絵を、Photoshopで適当にいじって加工したものです。 ちなみにもとの絵はこんな感じ。 Photoshopで加工するのは楽しくもあり、ちょっとくやしくもある・・・。 お遊び程度にいじる分にはいいかな。 なぜこんな絵を描いたかといいますと、この間、夢の中で、とある芸人さんが、 くるくるオレンジの巨大なかつらをかぶってステージに立っていたのです。 そして、赤いワンピース。 なんというか、ミュージカルのアニーと魔法使いサリーちゃんを 足して2倍したような感じといいましょうか。 顔が白くて、オレンジ色のかつらが映えること! 実際にやったら、絶対面白いと思うんだけどな~ 本人に伝える術もないので、お絵かきして自己満足した次第です。
2018年12月05日 テレちゃんの階段 自宅二階の一室が、テレちゃん専用の部屋だった。 テレちゃんは、もともとは野良である。 先住猫のミカちゃんと仲良くなれるまでは、ある程度、部屋を分けておく必要があった。 外で自由気ままに暮らしていたテレちゃんにとって、 閉ざされた家の中で生きることは、相当なストレスとなる。 私はせめて少しでも、テレちゃんに良い環境を与えてあげたかった。 二階の一室だけでなく、 もっと自由に家の中を歩き回れるようにしなければ……。 そんなわけで、一階をテレちゃん、二階をチロ&ミカちゃんの生活スペースにしようと考えた。 ところが、テレちゃんを抱っこして強制的に一階のリビングに連れてきても、 すぐに二階の自分の部屋に戻って行ってしまう。 一階の部屋は、まだ未知の場所。怖いのだろう。 私は、テレちゃんが自分から階下に降りてくるのを待つことにした。 焦りは禁物なのだ。 けれど数か月が過ぎても、 テレちゃんの生活ベースは、相変わらず二階の一室のままだった。 みんなが寝静まった頃に、こっそり降りてきて リビングのコタツに入っていたりすることはあるものの、 そうでないときは、階段の影から、一階の様子を静かにうかがっている。 一階と二階をつなぐ階段が、テレちゃんのボーダーラインになっていた。 「テレちゃん、こっちおいで~」と優しく言っても、降りてこない。 階段の真ん中で、じっと私の顔をみつめている。 白熱灯のオレンジの灯りの下で、テレちゃんの瞳はまあるく黒目を帯び、 ますます愛おしく思えた。 そんなテレちゃんが、亡くなる前日の夜、 初めて、自分から一階のリビングへとやってきた。 とても驚いたし、うれしかった。本当に。 自発的に来てくれるのを、ずっと待っていたから。 ちょうど焼き魚があったので、その身をほぐし、テレちゃんに差し出すと、 テレちゃんは私の指にしゃぶりつくようにして、 ハグハグと、勢いよく食べてくれた。 本当のことを言うと、テレちゃんは長い間、酷い口内炎に苦しまされていた。 手作り食をペースト状にして与えたり、サプリメントをあげてみたり、 マヌカハニーや熊笹、いろんなことを試したけれど、 大きな効果はなかなか得られない。 頼みの綱のステロイドも、あまり効いているようには思えなかった。 そんなテレちゃんが、痛み声をあげることなく、 私の目の前で、おいしそうに魚を食べている。 これは本当に、心底うれしかった。 テレちゃんはきっと良くなる。絶対、元気になってくれる……。 私は、疑いのない希望を感じていた。 テレちゃんが次の日 死んでしまうなんて、 私は、これっぽっちも思ってなどいなかったのだ。 まったく。微塵たりとも。 今考えれば、これはテレちゃんの「お別れのあいさつ」だったのだろうと思う。 テレちゃんは最後の夜を、私と一緒に過ごしてくれたのだ。 明け方までテレちゃんは、ずっとコタツに入っていた。 徹夜する私の足元で、甘えたような顔をして、幸せそうに、丸くなっていた。 思い返したなら、ぶーちゃんのときも、そうだった。 亡くなる前日の朝、私の枕元にとびのってきたのだ。 そんな動きなどできないほど、日に日に弱っていくばかりだったから、 ぶーちゃんが、久しぶりに甘えてきてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。 このときも私は、これならきっとぶーちゃんは大丈夫だと、 必ずまたきっと良くなってくれると、かすかな希望を抱いていた……。 階段をのぼるテレちゃんの姿。 ずっと描きたいと思っていた。 けど、なかなかできずにいた。 五年目を迎えた今。やっと描きとどめることができてうれしい。 私にはまだまだ、描きたい絵がある。 描いておかなければならない。もっと。もっと。
2018年11月26日 らくがきの変貌 らくがき帳に なんとなく描いた絵が、結構気に入ったりするときがある。 そんな絵は スキャンしておいて、 ときどきPhotoshopで ちょこっと色をつけたりなんかする。 そうすると、また違った雰囲気になって、なかなかおもしろい。 どっちがいいかな~、 う~ん…、やっぱボールペンが好きなんだよな~と、 誰に聞かれるわけでもないのに、勝手に一人で悩んでいたりする。
2018年11月19日 すぐそばに。 部屋の一角に、大切な写真が飾ってあります。 チッタとぶーちゃん、そして、テレちゃんとチョビの写真。 毎日必ず、一度は手を合わせます。 10月に入り、秋めいてきたある日のこと。 ものすごく嬉しいことがあって、 わたしはみんなの写真に手を合わせながら、お礼の報告をしていました。 カーテン越しの柔らかな日差しの中。 静けさを抱えるように、一人写真と向き合っていると、 何とも言えない、厳かな気持ちになります。 わたしは いつも以上にゆっくりと、 感謝の思いをこめて、愛猫たちの写真をみつめていました。 2枚の写真が、木製のシンプルなフレームに、それぞれ入っています。 羽毛布団の中から顔を出してるぶーちゃんと、 その横でゴジラみたいな顔してあくびしてるチッタ。 小雪のちらつく日。ダンボール箱の中で、仲良く暖をとるテレちゃんとチョビ。 ふふふ。 本当に、いい写真だなぁ・・・ 愛おしむように、カメラ目線のテレちゃんのお顔を、 じーっと みつめていた、そのときでした。 写真の中のテレちゃんが、突然リアルに、浮き上がって見えてきたのです。 テレちゃんだけじゃありません。チョビもチッタも、ぶーちゃんも! わたしの目には、写真なんかじゃ、ない。 鮮やかな命が、そこにそのまま生きているかのように、思えました。 なんと言ったらいいのか。 写真の枠の中に異空間が広がっていて、そこで今も変わらず生き続けているような、 それを見ているような、そんな感じです。 その瞬間、無性に涙がこみあげてきました。 あぁ、わたしは、守られている。 こんなにも、守られているのだ。 そう思ったのです。 うまく言えないけれど、ひとつの喜びの中に、一緒にいるような気がしました。 生と死を越えて、再び会えたような。 同じ魂を、共有しているような。 わたしたちは、こんなにもすぐそばにいるのだ。 いつだって。 心から、そう思えた瞬間でした。 とても、とても、不思議な感覚でした。
2018年11月03日 あふれる愛 姉への誕生日プレゼント。今年は木彫りです。 「あふれる愛」で、これからも温かな家庭を守っていってほしい という願いをこめて。 これまでの木彫り作品は、茶系で木を地塗りしてたのですが、 今回は、ハートを淡いピンク色にしたいなと思ったので、 地塗りは白にして、着色しました。 やっぱり地の色が違うと仕上がりも全然変わってきます。 なかなかいい感じの色味。結構透明感があり、木目もよく見えます。 すごくかわいい! と、今年も無事、喜んでもらえました。 よかった、よかった♪
2018年10月26日 留める テレビをつけ、座椅子にぼ~っと座っていたら、 フクロウの可愛い映像が流れ、なんとなく見ていました。 そしてそのあと、とある映画を、そのままなんとなく見ていました。 映画の中に出てくる建物やアンティークのインテリアがとても素敵で、 私の意識は、自然とそちらへ向かっていきました。 ロココ調のカーテン。ビロードのソファ。 壁の随所に飾られた油絵が、チラリチラリと目に映ります。 そのときです。 私の脳裏に、古びたフクロウの絵のイメージが、突如ボン!と湧き上がりました。 厚塗りの、ちょっと角ばったシュールな感じです。 どうやら直前に見たフクロウの映像と、映画のアンティークな重厚感が、 自分の頭の中でミックスされたらしく、 混ざり合って出てきたそのイメージが、あまりにも鮮明だったので、自分でもびっくりしました。 これは描いておかなきゃと思い、描いたのがこの絵。 言わずもがな、描きたかったものとは全く異なる出来栄えです。 色鉛筆で描いたもんで、ふんわりふわふわ。 重厚感とは程遠い、ぜんぜん真逆のものになってしまいました。 まあでも、「フクロウを描きたいのだ」という思いは留めておくことができたので、 これはこれでよしとします。
2018年10月14日 走れ! 上の姪っ子への誕生日プレゼント。 今年は木彫りシリーズです。 陸上部で毎日頑張っているようなので、走っている姿をイメージして作りました。 黄金の足ー!っていう感じです。 会うたびに、ぐんぐん大きくなっていて、びっくりさせられるのだけど、 無邪気な笑顔は変わらないでいてくれていることに、私は内心、ほっとしています。 今回のプレゼントにも、とっても素直に喜んでくれました。 別れ際「ありがとう~!」と、笑顔で何度も手を振ってくれた姿が、嬉しかったな。 その力強い足で、しっかりと今を踏みしめ、 これからも好奇心を持って、いろんなことに挑戦していってほしいです。